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山陰中央新報コラム「羅針盤」第23回

  • 執筆者の写真: Mariko Watanabe
    Mariko Watanabe
  • 3 日前
  • 読了時間: 3分
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こんにちは、女将の麻里子です。


さて、地元紙「山陰中央新報」の日曜一面のコラム「羅針盤」の執筆を、タルマーリー渡邉格が担当しております!藤原辰史さん、内山節さんら著名人が順番に執筆、2カ月に1回くらい登場します。


第23回2025年12月7日掲載のコラムを、以下に転記します。


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 もう年末だ。私はいつも何かばたばたやっているが、それでも今年は特に大変なことが多かった。なにせ「“パン屋”をやめる」と決めたのだから…。2008年に開業してからずっと事業の主体は“パン屋”で、一生懸命に実績を積んできた。それにもかかわらず、今年からは「智頭タルマーリー発酵研究所」というコンセプトを掲げ、大きく方向転換すると宣言した。


 しかしお客さまはそんなことは知らずにパンを買いに来る。「今年からパンの販売はしていないんです。カフェではお召し上がりいただけますが…」と伝えると、そのままお帰りになる。カフェとホテルは営業しているものの、売り上げはがくっと減り、施設移転のための経費がどんどん出ていく…。そんな一年だった。


 だが危機的な状況に陥ったからこそ、私は今年、人生の根本的な目的に気付くことができた。それは「生きることを続ける」ということだ。至極当たり前のことだが、この気付きがこれから、何より大きな財産になると思う。


 「目的」が明確になると、「手段」の危うさに気付く。多くの人は「生きる」という目的のための手段は「お金」だと思い、頑張って働く。しかし目的を忘れて手段に執着し、心身を壊したりする。本末転倒だが、よくあることだ。


 生きる手段として、「お金」と似ているものに「幸せ」がある。実際に私もこの間まで、幸福こそが人生の目的だと勘違いしていた。人間は、例えば衣食住が満ち足りると、脳内で神経伝達物質のドーパミンが分泌されて快楽を感じる。


 しかし、ドーパミンには中毒性があり、さらに厄介なことに、同じ刺激には慣れてしまうという。だから幸福を感じても、次はもっと大きな幸せが欲しくなる。つまり、終わりなき幸せの依存症に陥ってしまうのだ。


 生きる目的はただ生命を維持することなのに、いつの間にかお金や幸せといった手段に執着し、それを追求に値すると勘違いして、自己目的化してしまう。


 私たちはとかく、珍しいものや未知のものに価値を感じ、空気や水といった当たり前の存在のかけがえのなさを忘れてしまう。そして何より、自分自身の存在をおろそかにしがちだ。目的という源流をつかまないと、手段に流されてさまようことになる。


 今年は事業転換と自身の糖尿病に向き合い、シンプルで質素な生活を送った。すると感性が鋭くなり、ささいなことでも感動できるようになった。例えば、朝食はいつも豆腐と野菜で、夏は冷たいまま食べていたのだが、少し寒くなったときに温めてみた。するとそのおいしさに驚き、次の朝が待ち遠しくなった。そして翌朝は目覚めた時から豆腐のことを考え、「私は生きている」と実感する。こんなことこそが、自己の存在の確認なのだと気付く。


 刺激的な物事を避け感性を研ぎ澄ませると、当たり前の存在をありがたいと思える。そして、生きていることに感動できるようになり、結果的に幸せを感じられる。


 今年も無事に生き延びた。これほど喜ばしいことがあるだろうか。

 


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