山陰中央新報コラム「羅針盤」第21回
- Mariko Watanabe
- 7月27日
- 読了時間: 3分

こんにちは、女将の麻里子です。
さて、地元紙「山陰中央新報」の日曜一面のコラム「羅針盤」の執筆を、タルマーリー渡邉格が担当しております!藤原辰史さん、内山節さんら著名人が順番に執筆、2カ月に1回くらい登場します。
第21回2025年7月27日掲載のコラムを、以下に転記します。
※なお、この度の文章で取り上げた「翠山大学」は文科省の認可取得を目指し、クラウドファンディングを行っています。興味のある方はリンクをご覧いただき、開学メンバーとしてぜひご支援ください。
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少子化が進み、全国の大学が募集停止や共学化をしていく中、無謀にも新しい大学をつくろうとしている。
2027年4月の開校を目指す「翠山(すいざん)大学」の設立に私たちは関わっている。
同校の代表理事である堀田新五郎さんいわく、日本はこれから人口減少が進むにもかかわらず、これまでの成長や競争という概念のまま、まるで生活習慣病に侵されているようだ。この根本治療のためにも、一度立ち止まり、「自由民」として生きるための力を身につける場として、大学設立をもくろんでいる。
さらにユニークなのは、「集中・一元」から「分散・多元」への転換を促そうとしているところだ。つまり、都市への一極集中から地方分散への方向転換を目指す。そのため本拠地も東京ではなく奈良であり、さらに全国に「地域拠点」を設ける。現在、島根・鳥取も含めて10カ所が手を挙げており、その内の一拠点が私たち鳥取県智頭町のタルマーリーである。
講義は主にオンラインで日本全国どこからでも参加できる。そして地域拠点に滞在してゼミやインターンを経験することも教育の一環とする。
職人の私がこの大学の役に立てるかもしれないと思ったのは、翠山大学が「学と道の融合」を掲げているからだ。茶道や武道の「道」、つまり「修行」である。
私も身体を使ってモノを作る職人として修行の身である。そしてそこに感じる大きな意義は、生産と消費が自然環境に与える影響を論理的に体得できることだ。同時に、身体を使う経験は責任が伴うから、全てを自分事にしていける。
人生の濃さは経験の差とも言える。経験は自分で責任を引き受けた方が記憶されやすい。そしてその蓄積が人格を形成する。多くの経験を蓄積することによって、世の中には無駄なことなどなく、全てが自分の糧になることを知る。すると、「これは何の役に立つ?」とか「これは何の利益につながる?」など事前に品定めするのではなく、失敗など恐れずに何事にも向き合い、動き、没頭できるようになる。これが修行、すなわち「時間を、お金ではなく技術に変える」ということだ。
何事も楽しんで没頭する時間を過ごしていくと、論理と身体感覚が一致する。すると、自分だけでなく、他者や環境も良くなっていく。これこそが仏教の「我執を去る」(自分自身への執着を手放す)という精神につながるのだと思う。つまり、修行こそが「自由民」になるために必須なのだ。
頭脳だけを使う仕事でも責任を引き受けられるかもしれない。だが、強い意志を持たない私などは、頭の中で逃げ道をつくって、問題を他人事にしてしまう。恐れを払拭するためにも、私は行動した方がいい。
翠山大学という新たな学びの場で、修行を通して全てを自分事にできる人々が増えれば、日本社会もアップデートされていくのではないか。




