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執筆者の写真Mariko Watanabe

田舎のパン屋が見つけた「からすのパンやさん」


こんにちは!タルマーリー女将の渡邉麻里子です。早速ですが、【現代思想2017年9月臨時増刊号】に寄稿したエッセイ『田舎のパン屋が見つけた「からすのパンやさん」』をブログに公開しまーす!(現代思想編集部さん、ご了解いただきありがとうございます)

絵本作家かこさとしさん総特集の中で、多くの人に愛される偉大な作品へ、こうして文章を寄せる機会をいただいて物凄く光栄でした!ちょっと長いのですが、タルマーリーを舞台にした子どもたちのリアル「からすのパンやさん」、読んでみて下さいね。

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『田舎のパン屋が見つけた「からすのパンやさん」』

 渡邉麻里子(タルマーリー)

「そういえばモコ、‟こうばしい‟っていう言葉は、『からすのパンやさん』でおぼえたんだよ。」 娘のモコに、 「母さん『からすのパンやさん』にまつわるエッセイを書くことになったよ」 と言ったら、そんな話をしてくれました。 我が家は正真正銘、森の中のパン屋さん。だから、モコはいつも、父が焼くパンのこうばしい香りをかぎながら育ってきたわけです。今は鳥取県智頭町で店を営んでいるのですが、夫婦で2008年にパン屋を始めた場所は房総の田園地帯でした。モコがまだ幼い一歳半のとき、意を決して東京から房総へ移住したのです。田舎でパン屋を開くことが、結婚当初からの夫婦の夢でした。なので、店の名前はふたりの名前(イタルとマリコ)から「タルマーリー」と名付けました。 そうして店を始めて二年後に息子のヒカルが産まれたのですが、私は彼を産む前の日までパン屋で働き、そして産婆さんを呼んで自宅で出産をして、またその一か月後から働き始めていました。だって、夫婦で営む小さなパン屋なのですから、ひとり優雅に休んでいる暇はありません。 そう、あのころは本当に『からすのパンやさん』と同じ様子だったのですよ!屋敷林に囲まれた古い農家を改装した店で、父さんは朝早く起きてパンを焼き、母さんはお店をせっせこせっせこ掃除して…。

「しかし、あかちゃんが なきだすと、とんでいって おっぱいを のませたり、おしめを とりかえたりするので、ときどき おきゃくさんを またせたり、おみせが ちらかったままに なってきました。」

ヒカルをおんぶしながらパン屋のレジに立ち、合間におっぱいあげて昼寝をさせて。でもせっかくヒカルが寝てくれたと思ったら、モコがうるさくして起こしてしまったり。

そんなある日、インターネットで「お店があんまり綺麗じゃない」というご意見を見つけて、それでとても落ち込んで、近所の友だちに話したら、 「私は何も気にならないし、パンが美味しいんだからいいじゃない!」 と慰めてもらったのでした。

そんなこんなで、あの頃の私は、「からすのパンやさん」を子どもたちに読み聞かせるたびにとても励まされたのでした。 「ああ、私はからすのおかあさんと一緒だ。これから子どもたちが大きくなったら、からすの子どもたちのように、私たちを助けてくれるようになるのかなあ……。」 ヒカルにおっぱいをあげながら、そんな日は遠い遠い日の夢のような話に感じていました。

そして今、開業からもうすぐ十年が経とうとしています。モコは小学六年生、ヒカルは二年生になりました。まさかあれからタルマーリーが二回も移転することになるとは、誰も予想していませんでした。 開業して三年後に起きた東日本大震災と原発事故を機に房総を離れ、岡山県北部に移り、新しくお店を立ち上げました。そしてそれからまた三年後に、この智頭という深い森の町に移転し、パンだけでなくカフェの営業も、更にクラフトビールも作り始めました。 日本の中でもどんどん「過疎が深刻」と呼ばれる地域へ移っていったのはなぜでしょう。それは、野生の菌だけで発酵させるパンと地ビールづくりにより良い環境を追い求めたことに加え、子どもたちがのびのび育つ環境を求めた結果でもありました。 最終的になぜこの町を選んだかと言うと、智頭町には全国的にも有名な「森のようちえん まるたんぼう」があったからです。そもそも東京出身の私が田舎暮らしに憧れたのは、「我が子には、森や野原で豊かな自然体験をしながら育ってほしい」という願いが強かったからでした。 都会で生まれ育った自分には圧倒的に「生きる力」が足りない……。私は小さな頃から、そんな漠然とした不安でいっぱいでした。そんな私にとって東京から田舎への移住は、夢が叶って嬉しいというよりも、清水の舞台から飛び降りるような、恐怖を振り切りエイっと勇気を振り絞って決行したような感じでした。 その上私たち夫婦は生業としてパン屋という仕事を選び、更に野生の菌だけで発酵させるというポリシーを掲げることにしたのです。一般的な純粋培養のイースト菌でなく、野生の菌だけで発酵させるパンづくりはとても不安定で、失敗も日常茶飯事。

「そんなこんなで、うれない こげたパンや はんやきパンが “モコ”ちゃんたちの おやつに なりました。」

慣れない田舎の地域社会で、小さな子どもを育てながら、菌と対話をしながらパンをつくる日々。そしてやっぱり予想どおりに、菌と子どもという「野生」に向き合ってみると、都会育ちゆえ「生きる力」が足りない自分と向き合わざるを得ませんでした。目の前に起きている現象をありのままに観察して行動すればよいのに、自分は大学まで一生懸命に勉強して身に付けた知識や常識の方に囚われてしまうのです。 更に、開業3年目くらいからスタッフを雇用するようになって気づいたのですが、職人の家に生まれ育った人は良い仕事をする一方で、頭先行型の高学歴の人は身体がついてこれずに現場仕事に苦労する場合が多いのです。 このような経験から、我が子の教育環境がますます気になってきました。大自然の現象を観察し、すぐさま身体が動くことが必要な職人仕事には、座学による知識が先行するより、幼い頃から自然の中で思いっきり遊ぶことの方が何よりの財産になるのではないか。そう感じるようになった私たちは、思い切って智頭に移転し、ヒカルを「森のようちえん まるたんぼう」に入れることにしたのです。 そう、いずみがもりでちゃんばらやいたずらをしながら遊ぶからすの子どもたちのように、ヒカルは智頭の森で年長組の一年間を過ごしました。たった一年でしたが、幼いヒカルが森で得た体験は彼の人生を劇的に変えたと感じています。七メートルくらいの高さまで木に登れるようになったり、山菜を採って天ぷらにして食べたり、ヒカルが大自然の中で思いっきり五感を働かせて身体を動かして遊ぶ楽しさを知ったことは、私たち家族にとっても、何よりの宝になりました。

今は小学生になったヒカルですが、先日の夕食どきに、こう言ってくれたんです。 「ヒカルが良かったなあと思うのは、家族が仲良いことと、森のようちえんに行けたことと、智頭小学校に行けてること。」

さて、現在のタルマーリーの店は元保育園なので庭が広々としていて、ヒカルは放課後に近所の友達とサッカーや野球をしてのびのび遊んでいます。廃園になってから八年くらい使われずにひっそりとしていたこの旧・那岐保育園を、なるべくDIYで改装して店を開いたので、またこうしてお客さんや地域の子どもたちが庭で遊んでいる様子を見ると、とても嬉しくて心がなごみます。

私たちが町有である元保育園を活用させてもらえたのは、那岐地区の皆さんのご協力に加え、智頭町長の寺谷誠一郎氏の応援があったからでした。寺谷町長はとてもユニークで、「おせっかいのまち」という標語を掲げているのですが、町の方々は本当に素敵な「おせっかい」をたくさんしてくださるし、子どもたちにも地域ぐるみで愛情を持って接してくれています。モコは智頭に来た時にはもう小学四年生で、残念ながら森のようちえんには行けなかったけれど、ご近所のおじさんに釣りに連れて行ってもらったり、小学校や地域活動で稲作や林業、栃餅づくりなどの体験をしたり、この中山間地域にまだまだ生きている豊かな自然と伝統文化に触れる機会に恵まれています。 そう、『からすのパンやさん』と同じように、子どもたちはいつもどこでも最高の外交官であり、パン屋と地域を繋いでくれる存在です。ときどきモコとヒカルの友達が店に来てくれて、そのあと小学校で、 「ピザが美味しい!」 とか、 「パンが高い」 とか、とても率直な感想を言ってくれるそうです。 そんな中でも嬉しかったのは、モコの同級生Hちゃんのこと。Hちゃんは卵アレルギーなのですが、タルマーリーではパンにもカフェメニューにも卵を一切使っていないので、 「タルマーリーのモノは何でも気にせずに食べられるから、Hちゃんは相当嬉しいらしいよ!」 とモコが教えてくれたのでした。

ところでこのエッセイを書くことになり、初めて『からすのパンやさん』のあとがきをじっくり読んでみたのですが、作者のかこさとしさんはこの作品を描くにあたり、ソビエトのモイセーエフ舞踊団の演目「パルチザン」に大きな影響を受けたのだそうです。 「個々の生きた人物描写と全体の総合化の大事なことを、わたしはモイセーエフから学び、さて、からすの一羽一羽に試みてみたのがこの作品です。そんなわけですので、もう一度からすたちの表情をみて笑ってください。」

そういえば、子どもたちが幼い頃は、夜寝かしつけるときによくこの本を読み聞かせていたけれど、いつも仕事に追われていた私は、 「子どもたちが早く寝てくれるといいなあ。」 などと思いながら本の字を追うばかりでした。 そしてやっと今になって改めてカラスの一羽一羽をよく見てみると、それはそれは多種多様なカラスたちがそれぞれに豊かな表情をしているではありませんか!それでまたモコに、 「小さい頃に母さんが読んであげてたとき、モコはずっと絵を見ていたんだよね?その中に、外国の人みたいなカラスとか、昔の人みたいに日本髪を結っているカラスとか、角隠しの花嫁さんとその親戚みたいなカラスとかがいるの、知ってた?」 と聞いてみると、 「うんうん、知ってるよ。」 と答えてくれました。 ああ、あの頃私は絵を楽しむ余裕のない母親だったけれど、子どもたちはカラスの絵を眺めながらいろいろな想像力を働かせていたんですね。 かこさとしさんの描くカラスたちは、時間も空間も縦横無尽に駆け巡るような多様性を持ち、その世界はファンタジーのように思えます。けれどそういえば、今のタルマーリーには実際に、こんな風に多様なお客さんが来てくれているじゃない…と、なんだかはっとしました。

特に、夫のイタルが『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(渡邉格・著 講談社)という本を出版してからは、新聞やテレビの取材の方がたくさん来てくれましたし、この本が韓国や台湾で翻訳されたり、タルマーリーにまつわるドキュメンタリー番組が世界各国で放送されたりしてからは、ときどき海外からのお客さんも来てくれるようになりました。 そしてごくたまに、智頭出身の方が冠婚葬祭で久しぶりに都会から帰省して、 「ずっと来てみたいと思ってたのよ」 と、正装のまま親戚の皆さんと店を訪れてくださることがあります。その様子がちょうど、『カラスのパンやさん』で、パン屋の行列に並ぶ花嫁さんと一緒にいる着物やモーニング姿のカラスたちに似ているかも……なんて思ったりしたのです。 さすがに今のところ、タイムマシーンに乗って過去や未来から来てくれたお客さんはいません。でもタルマーリーでは、古来人間が培ってきた野生の菌による発酵技術を掘り起こそうとしているので、日々過去の人々と対話をしているような気持ちです。更には、この地域の社会や自然環境が保全されていくことを願いながらモノづくりをしているので、日々未来の人々にも語りかけているような気持ちなのです。

さて、そんなこんなで、あの頃遠い日の夢だと思っていたことが今、とうとう現実になりました!子どもたちが家事や店の仕事を手伝ってくれるようになったのです。特にモコはここ一年くらいでめきめきと料理の腕をあげ、学校が休みの週末はもちろん、下校が早い日も家族のために夕食をつくってくれます。 朝も張り切って弟に、 「ヒカル~!パンがいいの?ご飯がいいの?」 と聞いて、ささっとチャーハンやフレンチトーストなどを作ってくれる、面倒見のよいおせっかいなお姉さんになりました。 こうして開業から十年経って我が子たちの成長ぶりをみると、彼らにとっての大きな財産は、父と母がパン屋を切り盛りしてきた様子をいつもそばで見ていたことなのかもしれません。サラリーマン家庭で育った私は世襲について否定的なイメージを持っていましたが、やっぱり職人仕事は親の背中を見てきた子の方が圧倒的に習得が早いのだとわかり、最近では、 「子どもたちが店を継いでくれたら嬉しいな」 という想いを、密かに抱くようになりました。 更にこのエッセイを書くにあたり初めて知ったのは、からすの子どもたちが大きくなってからの続編シリーズの存在です。なんと、4羽の子どもたちそれぞれが、おかしやさん、やおやさん、てんぷらやさん、そばやさんになっているではありませんか! 驚いてモコとヒカルに話してみると、ふたりとも既にそれを知っていました。それから、何気なく聞いてみました。

私 「ねえ、『からすのパンやさん』の子どもたちは、なんでみんな食べもの屋になったのかなあ?」 モコ「そりゃ、お父さんとお母さんがパン屋やってるの見て、楽しそうだなって思ったからでしょ」 私 「でもさあ、なんでひとりもパン屋にはならなかったの?」 モコ「え、そりゃ、お父さんとお母さんがやってるのとは違うことがやってみたかったんじゃないの?」 私 「そうか……。じゃあさあ、『からすのパンやさん』のお父さんとお母さんが歳とってパン屋やめちゃったら、もうパン屋はおしまいかなあ?」 モコ「うーん、そのパン屋さんの店はきっと、子どもたちの誰かが使わせてもらうと思うよ。」 私 「ほう、そうか……」 モコ「でもモコ、『カラスのパンやさん』のお父さんとお母さん、好きよ。だって、子どもたちに‟パン屋を継いでほしい”とか押し付ける感じじゃなくて。うちもそうだけど。それに子どもたちの“こんなパン作ってほしい”っていう声をちゃんと聞いてくれて。だからきっとからすの子どもたちはちゃんと食べもの屋になったんだと思う」

ほう、そうか……。歳をとってパン屋をやめても、その場を子どもたちが使ってくれるっていうのは、素敵な想像だなあ、と思いました。親と同じ方法じゃなくても何でもいいから、その場に宿った何かを引き継いでくれるのであれば、お父さんもお母さんも、それは本当に嬉しいでしょうね。

家の前には田んぼが広がり、目線をあげるとどこまでも杉の山が続くこの谷あいで、私たちは家族で楽しく暮らしています。 今朝もお母さんは子どもたちを小学校へ送り出した後、洗濯ものを干して、身支度をして、川沿いの小道を店に向かいます。三分ほど歩いて行くと、ほら、こうばしいおいしいにおいがしてきましたよ。パン工房では今朝も早くから、お父さんとスタッフたちがせっせとパンを焼いているのです。 もし、緑の屋根のかわいらしい建物が見えたら、そこが那岐の森にあるタルマーリーなのです。 もしかしたら、あなたは、もりのなかで、“モコ”ちゃんたちにあえるかもしれませんよ。


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