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執筆者の写真Mariko Watanabe

山陰中央新報コラム「羅針盤」第16回



 こんにちは、女将の麻里子です。


 さて、地元紙「山陰中央新報」の日曜一面のコラム「羅針盤」の執筆を、タルマーリー渡邉格が担当しております!藤原辰史さん、内山節さんら著名人が順番に執筆、2カ月に1回くらい登場します。


 第16回2024年7月21日掲載のコラムを、以下に転記します♪


 次回は2024年9月29日掲載予定です。「山陰中央新報」購読者の皆さん、ぜひ紙面をチェックしてください♪


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 自信はあるが、自己肯定感が低い。それが、私である。


 自信と自己肯定感、この二つは似ているようだが、違いは何か。調べてみると、自信とは、何かの行動や実績に対して他人からの評価を受けて感じるもの。一方で自己肯定感は、他人と比べることなくありのままの自分を肯定する感覚だという。確かに私にとって、真っすぐに自分を見つめることは苦しい作業だ。


 最近気付いたのだが、私は自己肯定感が低く自己否定に陥りやすいため、さまざまなコンプレックスの解消が自己目的化していた。他人からの評価で自信を得ようとするから、評価を失うことに不安を覚え、息苦しさが増していく。


 ところでこれは町づくりにも通じるのではないか。


 今ここにある地域資源をきちんと肯定しないと、コンプレックスの解消が自己目的化してしまう。そして「変化をしないと取り残される」という発想になるのかもしれない。


 地方で風景になじまないとっぴなデザインに出くわすと、「都会に負けじ」という思いを感じる。全国どこでも国道沿いは、チェーン店が並ぶ同じ風景になってしまった。


 私は、町の変化が人に与える影響はとても大きいと思う。


 昨年、糖尿病で身も心も大きく崩したとき、多摩の実家に帰って、20~35年前に日常的に過ごした場所をたどる旅をしてみた。すると、あらゆるものが変化していて驚いた。


 通学路はまるで図面上で書き換えたかのように大きく変わり、新婚当時に住んでいたアパートは跡形もない。その周辺はかつて畑が広がっていたが、住宅で埋め尽くされていた。ちらほらと昔のまま残る建物に懐かしさを覚えても、崩れてしまった風景を見ると物悲しさが湧き上がってくる。


 この旅を通して、東京で生まれ育った自分は根無し草のような存在だと感じた。懐かしい場所に戻れば自分を取り戻せると思ったが、その風景はもうなかった。そして気付いた。早い変化を追い立てる町の自己否定は、私の中にもある。思い起こすと、私は東京都の中でも田舎である多摩出身であることに劣等感を覚え、市外局番「03」の都心に憧れていた。


 日本の伝統的な芸術である盆栽は、樹齢が価値を決める大きな要因だという。100年を超えるような年月を、何人もの手で大切に手入れされてきたからこその価値だ。


 絶え間ない循環の中で変わらない美を保つ盆栽には、強さを感じる。もしそのような美が自己肯定感につながるのであれば、変わらない風景を守る強さこそ、町づくりに大切なことなのかもしれない。

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